弊社の創設者の1人であるBenjamin Holtがもたらした最も重要な技術革新は、初めて商業的に成功したブルドーザ(現在のドーザ)の発明です。この発明は弊社の基礎となる製品の1つになっただけでなく、その開発が現在の弊社の名称(Caterpillar)のきっかけになりました。
発明者のHoltは、それまで自社の製品を改良する方法をいつも探していました。その当時、コンバインハーベスタやホイール式蒸気トラクタなどの製品がありました。Holtの主な市場は、カリフォルニア北部のサンジョアキン川峡谷周辺の農地でした。その辺りの地形のために農作物を植える準備をするのは大変でした。ぬかるんだ泥炭土に重い蒸気トラクタがはまって動けなくなるからです。いくらか調査した後、Holtは、Holt製蒸気トラクタからリアホイールを取り外し、彼が設計した1組の履帯と置き換えるようにサービスメカニックに指示しました。No.77として知られているこの履帯式の機械は、1904年の感謝祭の日に最初の実地試験が行われ、見事に機能しました。
1905年3月、改良された履帯一式を使用して再度No.77の試験が行われました。その走行時に、Benjaminとその甥のPlinyは、機械の写真を撮るために社内カメラマンのCharlie Clementsを現場に連れ出しました。現場に到着したとき、Clementsは最初少し混乱していました。車輪が見えないのに、機械が移動していたからです。Clementsは、ドライブスプロケットとフロントアイドラホイールの間をうねうね動く履帯の動きを見て、機械が這って進む姿がまるで大きな「芋虫(Caterpillar)」のようだと叫びました。Clementsは、その後何十年にもわたって土木機械を表すその名前を初めて使った運命の日だったと説明しています。
Holtの牧場に近づいたとき、私たちは遠くから蒸気トラクタに気付きました。「あれは走っているわけじゃないよ」とBenjamin Holtが言いました。 私は大きなサイドホイールがないことに気付き、「じゃ、壊れているんだね」と言いました。すると、Pliny Holtが振り返って、私を見て笑いましたが、何も言いませんでした。 すぐにボディが動いていることに気付きましたが、何も言わず、収穫された大量の大麦で隠されている、運河を通過するはしけの上にエンジンが載せられているのだろうと思っていました。突然、トラクタが向きを変え、収穫された大麦と私たちの間に現れたときは、少しの間、驚きで言葉が出ませんでした。 私は飛び上がって「これは巨大な芋虫だ」と叫びました。 Benjaminはその言葉を不快に感じつつも、笑顔をくずさず「どうしてそう思うんだい」と尋ねました。 「だって、子供でもそう思うでしょう。 とにかく機械が這って進むときのうねうねした動きを見てください」と私は答えました。
弊社がCaterpillarに決める前に、他の名称も検討されました。実際、Benjamin HoltはCaterpillarという名称を少しも気に入っていなかったと言われています。元々、この機械は、以下の名称に加えて「mud turtle(ドロガメ)」と呼ばれることもよくありました。
PlinyとHoltの他の家族も「Caterpillar」が論理的な選択であることをBenjaminに納得させるのを助けました。最終的に名称は行き詰まりましたが、1909年にCaterpillarという名称が付けられた最初のHolt製トラクタが組立てラインから出荷されました。1910年、Holtは米国特許局に「Caterpillar」という名称を商標登録しました。1925年、HoltとBestが合併して新しいトラクタ会社を設立したときに、世界中の人々に非常に親しまれていた名称であるCaterpillarを採用しました。Caterpillar Tractor Companyは現在、Caterpillar Inc.として知られています。その後はご存じのとおりです。