最初の100年

Caterpillarは、当社のお客様の成功を助けるイノベーションを基盤として誕生しました。それ以来、当社は伝統を引き継ぎながら、業界をリードする製品、テクノロジ、サービスを作成することで、最善の作業と周囲の世界の構築に取り組むお客様を支援し続けています。

当社の100周年のマイルストーンは、未来を見据えながら、最初の100年にわたる業績を祝う機会となります。当社の目的は、より良い、より持続可能な世界を構築するお客様を支援することです。当社は、その目的に基づいて、すべての活動を行います。

当社の始まり  

19世紀半ば、当社の創業者であるC.L. BestとBenjamin Holtは、同じような方向性を持ったライバル同士でした。

Benjamin Holtは、農場主が馬よりも高い生産性、低いコストで長時間作業できるように、蒸気トラクタを発明しました。Holtは、アイデア豊富な発明家で、45件を超える特許を所有していました。カリフォルニア州ストックトンの住民には、「Ben叔父さん」として知られていました。

一方、C.L. Bestは、小規模な新事業であるC.L. Best Gas Traction Coを創設し、最初は丸形ホイールのトラクタに注力していました。1912年末までに、Bestは、自らが設計したエンジンを搭載したC.L. Best 70履帯式トラクタの生産を実現しました。やがて、Bestの製品には「履帯式トラクタの信念」が反映されるようになりました。これは、優れた品質と卓越したサポートというブランドの約束です。こちらから、当社の創設者と、彼らが築いた会社の詳細をご確認ください。

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Ben Holt(左)とE.D. Swinton英国陸軍少将(1918年頃、カリフォルニア州ストックトンにて)。

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当初はBest 60として販売されたCaterpillar 60ブルドーザは、当社の最も成功した製品の1つになりました。そのエンジニアリングにおけるイノベーションは、現在のCAT®ドーザのDNAに受け継がれています。

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1904年の感謝祭の日に試験中のBenjamin Holtのブルドーザ試作機No. 77。

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C.L. BestがBest 8-16「Pony」ブルドーザを運転している様子(1914年)。これはBestが自分の機械を運転している、現在知られている唯一の写真です。

Ben HoltとE.D.  Swinton少将
Caterpillar 60の100周年記念
ブルドーザ試作機No. 77
C.L.  Bestがブルドーザを運転している様子
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1904年の感謝祭の日にホイールを履帯に置き換えたとき、すべてを変える機械が誕生しました。

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Holtは商標名「Caterpillar」を保護するために、このキャッチフレーズを使用しました。

ホイールから履帯へ | すべてを変えたCaterpillar製機械
「There is but one Caterpillar - Holt builds it.」のキャッチフレーズ

 

履帯の登場と「Caterpillar」という名前

履帯式トラクタつまり現在のブルドーザの発明は、Benjamin Holtの最も重要なエンジニアリング上の発明です。ホイールを履帯に置き換えたことで、重量のある蒸気トラクタが、ぬかるんだ泥炭土にはまり込むことなく、より簡単に農地を耕作できます。イノベーションがどのように当社の主力製品を生み出し、土木機械の代名詞である当社の社名にどのような影響を与えたかをご確認ください。

蒸気からガソリンへ

Holtが履帯の開発で有名であった一方で、C.L. Bestは製品の信頼性および性能を向上させる初期のガソリンテクノロジや足回りテクノロジの発明に力を入れていました。こうした初期の機能のいくつかは現在のCaterpillarトラクタのDNAの一部となっています。

蒸気からガソリンへの切り替えは、当社の創設者が100年以上前にお客様を支援することで実現した重要なエネルギー革命でした。

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C.L. Bestは初代の取締役会長でした。

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Holt(写真内の立っている人物)は、蒸気動力の限界を認識し、1906年に試験的なガソリントラクタを製作しました。

農地でのトラクタを使った作業
農地のBenjamin Holtと年代物の機器
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Caterpillarの最初の製品ラインは、HoltとBestの機械を組み合わせたものでした。この写真は、1926年の初期のCONEXPO(当時の名称はThe Road Show)における製品ライン全体を見ることができる貴重な写真です。

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1925年の合併以降、イーストピオリアにある以前のHoltの工場が当社最大の製造センターとなりました。

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Holtは、戦争中に米国軍向けに多数の履帯式の製品を製作しました。

Caterpillarの最初の製品ラインは、HoltとBestの機械を組み合わせたものでした。この写真は、1926年の初期のCONEXPO(当時の名称はThe Road Show)における製品ライン全体を見ることができる貴重な写真です。
1925年の合併以降、イーストピオリアにある以前のHoltの工場が当社最大の製造センターとなりました。
Holtは、戦争中に米国軍向けに多数の履帯式の製品を製作しました。

 

合併: Caterpillar Tractor Co.の誕生

1800年代半ば、当社の創設者は、それぞれ自分の会社を所有し、各々が独自に農業機械などの革新的な機械製品を製造していました。数年すると、どちらの会社も、トラクタとハーベスタを中心とした優れた機械を生産する会社へと成長しました。

第一次世界大戦の終わりに、Daniel Bestの会社は、しっかりとした財務基盤、高度なトラクタ設計、強力なディーラグループの基盤を確立していました。一方、Holtは、世界的な評判、「Caterpillar」という商標、大規模な工場、約40年続くハーベスタ製品を持っていました。

1925年に世界有数の2つの会社は合併しました。こうして、Caterpillar Tractor Co.が誕生しました。こちらで詳細をご確認ください。

 

ずっと黄色であったわけではない

1925年、当社は赤色で波形の「Caterpillar」ロゴを採用し、機械を軍艦のようなグレーに塗装していました。ただし、この外観はそれほど長く続きませんでした。1931年、それまでのグレーの塗装に赤色のアクセントが施された当社の機械は、ハイウェイイエローに黒色のアクセントに変更されました。灰色から黄色への変更は、道路工事現場で機械の視認性を高めることがねらいでした。

1979年、ハイウェイイエローから、現在も当社の機械の色として知られているCaterpillar Yellowに変更しました。最大限の耐久性と寿命を実現するために塗料の配合を継続的に調整していますが、黄色の色合いは変更していません。

こちらから、当社の機械のトレードドレスとロゴの変遷をご確認ください。ただし、当社の工場から出荷されるCAT機械の中には黄色でないものがあることは事実です。

 

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1930年に波形ロゴを廃止しました。このCaterpillar 60には、まだ赤色のアクセントがあります。

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CAT®機械の中には黄色以外に塗装されたものもあります。Caterpillarのお客様であるCopart社は、中古車販売業者向けに車両オークションと再販サービスを展開するグローバルプロバイダです。2021年、Copart社は938台目のCAT 938ホイールローダを特別な青色仕様で購入しました。

赤色のアクセントがあるCaterpillar 60
カスタム塗装されたホイールローダに立つお客様
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Caterpillarの最初の製品ラインは、HoltとBestの機械を組み合わせたものでした。この写真は、1926年の初期のCONExpo(当時の名称はThe Road Show)における当社の製品ライン全体を見ることができる貴重な写真です。

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アルベール運河の建設。

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Russell製のブレードグレーダはCaterpillar製のトラクタと一緒に使用されることがよくありました。そのため、1928年にCaterpillarはRussell Grader Manufacturing Companyを買収し、道路機械事業部を創設しました。

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Russell Graderは、ブルドーザ向けにけん引グレーダや仕上げ整地用アタッチメントを製造していました。買収により、1931年に当社は業界初の実用モータグレーダの生産を実現しました。

Caterpillarの製品ライン
アルベール運河の建設に使用されている機器
Caterpillarのトラクタと組み合わせたRussell製グレーダ
Russell 20 Motor Patrol

 

大きく成長した数年間、モータグレーダとディーゼルテクノロジ

1925年のCaterpillar Tractor Co.の設立から間もなく、これまでのHoltとBestのディーラで構成されたグローバルディーラネットワークの構築が完成しました。Catディーラは、当初からサービスに重点を置いていましたが、1928年までに、部品を航空便で輸送できる体制が整いました。

1927年、Caterpillarは初の新製品である20ブルドーザを発表しました。当社は大恐慌の影響を受けていましたが、お客様にとって重要な製品とテクノロジへの投資を継続しました。

Russell Grader Manufacturing CompanyのブレードグレーダはCaterpillarのトラクタと一緒に使用されることがよくありました。そのため、1928年にCaterpillarはRussell Graderを買収し、道路機械事業部を創設しました。この買収により、1931年に当社は業界初の実用モータグレーダの生産を実現しました。

さらに、C.L. Bestなどのリーダーは、ディーゼルテクノロジへの投資に取り組みました。1931年、当社はCaterpillarディーゼル60トラクタの生産を開始しました。最初のディーゼル60トラクタ25台のうち10台は、ベルギーのアントワープからリエージュまでの80マイルを結ぶアルベール運河の建設に活躍しました。これらのトラクタは、9年間の建設期間中、毎日稼働を続けました。

CATエンジンの歴史

Caterpillarでは、初期の頃からエンジンビジネスの大きな可能性を認識していました。しかし、Caterpillarディーゼルエンジンの登場によって、ようやく動力ビジネスは開始されました。

1915年のパナマ・太平洋万国博覧会(のちに世界博覧会に改称)で、Caterpillarの上級幹部は、大型の据置き型ディーゼルエンジンを目にし、その可能性を認識しました。当社はすぐに、トラクタのガスエンジンの代わりとなる独自のディーゼルエンジンの開発に着手し、発電機、工業設備、船舶などの用途向けとして、広くOEMに販売しました。

当時、ディーゼル燃料のコストはガソリンの約半分でした。産業用途では通常、エンジンを24時間稼働させることが必要になるため、大きな節約になります。また、ディーゼルエンジンには、出力、耐久性、燃料効率の向上など他の利点もあります。その結果、当社は1931年に最初のディーゼル量産モデルを完成させ、1937年までに世界最大のディーゼルエンジンメーカーとなりました。

それが、現在Caterpillarが確立しているリーダーとしての地位です。

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ディーゼルエンジンはCaterpillarの最も重要な製品イノベーションであると言われてきました。当社が数年で世界最大のディーゼルエンジンメーカーとなった理由と経緯をご確認ください。

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Caterpillarの創設者であるC.L. Bestが、大恐慌時のコスト削減対策としてディーゼルエンジンを廃止すべきだという圧力があったにもかかわらず、ディーゼルエンジン開発の取り組みをどのように継続させたかをご確認ください。そのような時期に、ディーゼル燃料が重機の成長のために重要な役割を果たした理由を説明します。

Caterpillarのディーゼルエンジンの歴史
Caterpillarのディーゼルエンジンの歴史
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1944年にベアリングキャップラインにおいて二交代制で勤務していたPatricia(Manning)Langenbergとその夫Jack Langenberg(1944年頃)

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Louis Neumillerは、最初は速記者をしていましたが、最終的には1954年にCaterpillarの取締役会長になりました。Neumillerは、第二次世界大戦の期間中、Caterpillarのリーダーとして貢献しました。

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Henry Warfieldは1942年にCaterpillarに入社しましたが、翌年、陸軍に入隊しました。軍務が終了した後、HenryはCaterpillarに復帰し、彼のコミュニティに関与するようになり、政治活動に参加しました。

Patricia(Manning)Langenbergと夫のJack Langenberg
Louis Neumiller
Henry Warfield

 

Caterpillarの労働力の変化

1939年に米国が第二次世界大戦に参戦した結果、国の経済と労働力に大きな影響が生じました。男性が戦争のために国を離れ、代わりに女性が組立てラインに雇用されたため、ほぼ一夜にして失業率が低下し、米国全体で工場の労働力が変化しました。

Caterpillarも同じ状況でした。労働力不足に加え、南極大陸以外のすべての大陸で米国と同盟国を支援するために当社の機械が世界中に供給され、生産量が急増しました。1942年から1945年まで、Caterpillarは週7日間体制で稼働し、労働力を倍増させ、研究、鋳造工場、組立てラインの業務に女性を就けました。当社は、特殊な製品を製造し、下士官兵の訓練と支援を行い、約51,000台の軍用ブルドーザを製造しました。

ある若い女性Patricia Manningの物語をお読みください。彼女は二交代制の工場勤務を選び、第二次世界大戦中に工場の欠員を埋めるために集まった女性たちの1人となりました。

コミュニティの復興と繁栄の支援

Caterpillarの製品とサービスは、当社の歴史を通じて、竜巻や地震、壊滅的な洪水、森林火災などからの災害復旧や復興を助けてきました。当社の機器は、1906年にはすでにサンフランシスコ地震の復旧活動を支援するために使用され、その後も災害復旧において重要な役割を果たし続けています。

1952年の設立以来、Caterpillar Foundationは、世界中の人々の生活向上に貢献しています。企業として、Caterpillarはディーラやお客様と協力し、世界を動かすために必要な社会インフラの構築に取り組んでいます。Caterpillar Foundationでは、個人の繁栄やコミュニティの回復力向上に必要となる補完的な人、自然、基本的サービスに関するインフラストラクチャに重点を置いています。

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サンフランシスコ地震の復旧時に作業しているBest製蒸気トラクタNo.188(1906年)。

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カトリーナ、リタ、ウィルマの3つの巨大なハリケーンが上陸した2005年は、米国の湾岸地域にとって壊滅的な年となりました。後片付けや救援活動を支援するために、CAT®機械がすぐに派遣されました。

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インドネシアCAT®油圧ショベルは、2004年のスマトラ島沖地震および津波の直後に後片付けを支援しました。

Best製蒸気トラクタ
ハリケーンの後片付けを支援するCAT油圧ショベル。
地震と津波の後片付け作業を行うCAT油圧ショベル
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パイオニアであるGeorge Rhodesは、Holt製5トントラクタを操り、1919年にパイクスピークを登るという歴史的偉業を成し遂げました。

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1931年と1932年に製造された最初のディーゼル60トラクタ25台のうち10台は、ベルギーのアントワープからリエージュを結ぶアルベール運河の建設に活躍しました。これらのトラクタは、9年間の建設期間中、毎日稼働を続けました。

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1930年代のCaterpillarのイノベーション

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Caterpillar 60は、フーバーダムの建設に使用するパイプの巨大な接合部を運搬しました(1935年)。

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月へ向かうアポロ11号計画の際にNASAの追尾基地で使用されたCaterpillarディーゼルエンジンセットについて説明した新聞記事の切抜き。

Holt製5トントラクタを操作するGeorge Rhodes
Caterpillarディーゼル60トラクタ
1930年代のCaterpillarのイノベーション
パイプを運搬するCaterpillar 60
アポロ11号のために使用されるCaterpillarディーゼルエンジン

 

歴史的に重要なCaterpillarの貢献

道路、橋、滑走路、港の建設は、現代のインフラストラクチャシステムに欠かせません。創設以来、Caterpillarの製品は、世界最大級および最も有名なのインフラストラクチャプロジェクトのいくつかに貢献してきました。

お客様は、より良い、より持続可能な世界を構築するうえで、Caterpillarを頼りにしています。Holt製機械が使用されたロサンゼルス上水路など、お客様は当社の製品を使用して水路システムを構築することにより、水を都市に届けることに尽力しました。米国州間システムやバグダッド空港道路など、長大な道路を建設し、人や物をより素早く輸送できるようにしました。非常に厳しい条件下で、パイクスピークを登り、進歩の道を切り拓きました。パナマ運河を建設して商品や貨物の海上輸送スピードを向上させただけでなく、その後の拡張工事も助けました。米国のフーバーダムやゴールデンゲートブリッジ、中国の三峡ダムなどのダムや橋を建設し、世界で最も優れた驚異的なエンジニアリング上の成果のいくつかを生み出しました。当社の発電装置の1つは、月へ向かうアポロ11号計画でも電力供給に貢献しました。

Cat® Remanと当社のサスティナビリティの取り組み

再生は、Caterpillarが1970年代の初めにまいた最も重要な種の1つでしょう。単一シリーズのエンジンを再生するための的を絞った取り組みとして始まったものが、飛躍的な成長を見せました。現在、世界中のメーカーは、再生の経済的および環境的なメリットを認識し、大いに推奨しています。しかし、初期の頃、米国ではエンジンや他の重機用コンポーネントを再生するモデルがあまりありませんでした。

Caterpillarは鋳型を作る必要がありました。

Cat Remanは、新品部品の価格に比べて数分の1の価格で使用済み部品を再生部品に交換するビジネスを最もシンプルな形で促進します。この場合、Caterpillarは下取りした部品(コアと呼ばれます)を最低レベルのコンポーネントまで分解し、当社の再生プロセスに投入します。このプロセスの中で、これらのコンポーネントは、新しいシリアル番号が付けられた完全に新しいコンポーネントに生まれ変わります。再生された部品は、単体の再生部品として販売されるか、再生されたサブアセンブリまたはエンジンの一部になる可能性があります。

新品を購入する場合に比べてごくわずかのコストで、お客様が新品同様の部品を購入できるため、再生は、お客様の成功を重視しながら収益性のある成長を実現するというCaterpillarの戦略に完全に合致します。

さらに、再生は、原材料の消費量を削減することによって地球環境を保護し、また、プロセスを通じてエネルギーを節約できるので、最終的に当社のサスティナビリティの取り組みをサポートします。サスティナビリティは、Caterpillarの「行動に示す私たちの価値基準」の5項目の1つであり、ほぼ100年にわたる持続可能なイノベーションの伝統と一致します。詳細については、こちらをご確認ください。

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低コストの修理オプションを求めるお客様の声から始まったサービスは、Caterpillarで最も活気に満ちた事業部の1つであるCat Remanに姿を変えました。1973年に、アイオワ州ベッテンドーフでCaterpillar初の再生工場が生産を開始しました。

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100年間にわたり、Caterpillarは、生活の質と環境を改善する製品やサービスを提供しながら、お客様がインフラストラクチャに関する社会のニーズを持続可能な方法で満たすのを支援してきました。当社のサスティナビリティレポートをご覧になって、お客様がより良い、より持続可能な世界を構築するのを、当社がどのように手助けしているかをご確認ください。

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Caterpillarのお客様とディーラの従業員が、機器を稼働させ続けるうえでCat Reman部品を信頼している理由を語ります。

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このビデオでは、耐用年数に達したエンジンの視点で世界を見て、Cat Remanが必要な部品やコンポーネントに与える新しい目的を体験できます。

アイオワ州ベッテンドーフの最初のCat Reman施設(1973年)
サスティナビリティレポートの表紙
Cat Remanについて話をするお客様とディーラの従業員
Cat Remanの50周年
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この素晴らしい取り組みを指揮したのは、1972年から1975年にかけてCaterpillarの会長兼CEOを務めたWilliam H. Franklinなど、行動規範の作成と導入で中心的な役割を担った影響力のある人々でした。

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行動規範を作成したのは、Caterpillarの初代会社関連業務担当ディレクターであるByron Dehaanでした。このプロジェクトのためのテンプレートは存在しなかったため、その任務は大変困難でした。Caterpillarの行動規範は、このような長い社内文書としては最初のものでした。

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Lee Morganは、行動規範を作成している当時のCaterpillarのプレジデントでした。Leeは「予防メンテナンス」という概念を取り入れ、非倫理的な行為を防止する、この取り組みの本質を具体化しました。彼の仕事は、Caterpillarの上級リーダーから意見を集め、行動規範の内容を決定することでした。

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最初の行動規範の表紙。

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歴史を振り返る、Caterpillarの行動規範の50周年特別版

1972年から1975年までCaterpillarの会長兼CEOを務めたW.H.  Franklin
Caterpillarの初代会社関連業務担当ディレクターのByron Dehaan
Caterpillarのプレジデント、Lee Morgan
最初の行動規範の表紙。
Caterpillarの行動規範の50周年

 

当社の行動規範

1970年代の初めは、Caterpillarが大きく成長した時期でした。売り上げは1973年に30億ドルを超え、1975年までに50億ドル近くに達しました。世界全体で従業員数が80,000人を超え、世界的に大幅な拡大を実現した当社は、政府、公益団体、その他の第三者から続々と寄せられる業務上の行動規範に関する問い合わせに対処することを決定しました。

行動規範の初版は、1974年10月1日に発行され、社内ですべてのCaterpillarのマネージャに配布されました。1974年の年次報告書に含まれる1ページの要約版を別として、当初、行動規範は外部に宣伝または配布されていませんでした。しかし、公共団体、企業、学術機関、政府機関からの要望が殺到したため、方針が迅速に変更され、行動規範を求める要望に応えることが決定しました。

現在は「行動に示す私たちの価値基準」として知られている行動規範は、倫理的行動と企業の社会的貢献に関するCaterpillarの取り組みの基礎であり、当社の評判を保護するとともに、多様性と包括性を重視するCaterpillarの姿勢を示しています。これは、当社にとって最も重要な文書であり続け、古びることなく使用されています。

 

世界を変えたCaterpillarの10のイノベーション

当社は、HoltとBestの時代からずっと革新的なソリューションに焦点を当て、お客様の成功を後押ししてきました。実際、HoltとBestは100件を超える特許を取得していました。Caterpillarの従業員は、彼らを手本にして、製品開発に対する情熱に基づいて、価値を作り出すソリューションや世界をより良い場所にするソリューションを実現しています。

10のイノベーションの詳細を確認する

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1919年にBest 60として販売したCaterpillar 60は、当社の最も成功したブルドーザモデルの1つになりました。そのエンジニアリングにおけるイノベーションは、現在のCATドーザのラインアップのDNAにも見ることができます。

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1931年、Caterpillarは業界初の実用モータグレーダを開発しました。

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「Old Betsy」は、当社初の手作りのディーゼルエンジン試作機であるモデルD9900のニックネームでした。このエンジンを使用して16か月以上試験を実施した後、Caterpillarは、1931年にディーゼルエンジンの生産を開始し、1937年までに、世界最大のディーゼルエンジンメーカーになりました。

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1950年代の南極探査には、Caterpillarの特殊な機会が必要でした。

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高位置スプロケットは、1977年にCAT® D10に導入されたエンジニアリング上の偉業です。現在では、高位置スプロケットは、中型および大型のCAT®ブルドーザに標準装備されています。

畑の飛行機とトラクタ(1928年)
CATモータグレーダ
「Old Betsy」
南極で使用された機器
高位置スプロケットを備えたブルドーザ
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採掘業のお客様であるRio Tinto社は、西オーストラリアのピルバラ地域のグダイ・ダリ鉱山を構想し、今後の鉱山開発を支援する企業としてCaterpillarを選択しました。

将来の採掘現場

 

将来の採掘現場での協力

自律運搬テクノロジを搭載したCAT MineStar Commandから排出ガスゼロの採掘を実現する戦略的提携まで、当社はお客様と協力しながら、露天採掘と坑内採掘のための新しいモデルの構築を支援します。2021年、当社はNewmont Corporation社との戦略的提携契約を発表しました。同社は世界最大の金採掘企業であり、当社は、完全に接続され、自動化された、二酸化炭素排出量ゼロのエンドツーエンド採掘システムを提供します。

 

イエローの機械のその先へ

お客様がより良い、より持続可能な世界を築き、全世界の人々のニーズに応えられるように、当社は、一連の買収を通して事業を拡大し、製品およびサービスを多角化することに力を入れてきました。

Caterpillarが最初に行った買収は1928年のRussell Grader Companyの買収であり、この買収により、モータグレーダ業界における当社の地位が確立しました。それ以前は、Russell製のブレードグレーダはCaterpillar製のトラクタと一緒に使用されることがよくありました。1931年4月に、当社は初の実用モータグレーダAuto Patrolを発表しました。この製品は、別のトラクタの周りにグレーダのフレームをはめて使用するのではなく、単独の機械として設計されていました。

当社は、その歴史を通じて、能力を高めるため、また製品ラインを拡張するために、企業やテクノロジを買収してきました。1980年代には、複数の企業を買収して、当社の能力を成長させ、革新的なソリューションを提供しました。1986年、当社は社名をCaterpillar Tractor Co.からCaterpillar Inc.に変更しました。

当社のブランドファミリーの詳細については、こちらをご確認ください。

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Russell製のブレードグレーダはCaterpillar製のトラクタと一緒に使用されることがよくありました。そのため、1928年にCaterpillarはRussell Grader Manufacturing Companyを買収し、道路機械事業部を創設しました。

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Russell Graderは、ブルドーザ向けにけん引グレーダや仕上げ整地用アタッチメントを製造していました。買収により、1931年に当社は業界初の実用モータグレーダの生産を実現しました。

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1981年、Caterpillarは、Solar Turbines Internationalを買収しました。Solarは、産業用ガスタービンを設計および製造しています。

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FG Wilsonは、1966年にFred Wilson氏がわずか6人の従業員とともに創設した会社でした。現在、FG Wilsonは発電装置の主要グローバルプロバイダとなっています。

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Perkinsは、1932年に英国のピーターバラで、成長著しい自動車産業向けのディーゼルエンジンを生産する会社として創設されました。

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Caterpillarは、1988年にPerkinsを買収し、ディーゼルおよびガスレシプロエンジンの総合メーカーとしての世界的地位を高めました。

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MWMは、1871年にドイツのマンハイムで、自動車産業のパイオニアであるCarl Benz氏によって設立されました。現在、MWMはガスエンジンおよび発電装置の主要メーカーとなっています。

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Caterpillarは、2005年に中国の青州にある少数所有であったShandong SEM Machinery Co., Ltd.を買収し、2008年にその買収を完了しました。

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Caterpillarは、2006年にProgress Railを買収しました。Progress Railは、世界の鉄道業界に鉄道車両やインフラストラクチャ関連のソリューションを提供する総合的かつ多角的な大企業です。

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Caterpillarは、2011年に世界最大の鉱業用機械メーカーの1つであったBucyrusを買収しました。この買収により、当社の鉱業用機械製品群が大幅に強化されました。

Caterpillarのトラクタと組み合わせたRussell製グレーダ
Russell 20 Motor Patrol
ガスタービン
FG Wilson発電装置の周囲に座る人々
Perkinsディーゼルエンジンを組み立てる従業員たち
Perkinsの施設
Carl Benz
SEMホイールローダ
Progress Railの機関車
Bucyrusの油圧ショベル