Caterpillarは、当社のお客様の成功を助けるイノベーションを基盤として誕生しました。それ以来、当社は伝統を引き継ぎながら、業界をリードする製品、テクノロジ、サービスを作成することで、最善の作業と周囲の世界の構築に取り組むお客様を支援し続けています。
当社の100周年のマイルストーンは、未来を見据えながら、最初の100年にわたる業績を祝う機会となります。当社の目的は、より良い、より持続可能な世界を構築するお客様を支援することです。当社は、その目的に基づいて、すべての活動を行います。
19世紀半ば、当社の創業者であるC.L. BestとBenjamin Holtは、同じような方向性を持ったライバル同士でした。
Benjamin Holtは、農場主が馬よりも高い生産性、低いコストで長時間作業できるように、蒸気トラクタを発明しました。Holtは、アイデア豊富な発明家で、45件を超える特許を所有していました。カリフォルニア州ストックトンの住民には、「Ben叔父さん」として知られていました。
一方、C.L. Bestは、小規模な新事業であるC.L. Best Gas Traction Coを創設し、最初は丸形ホイールのトラクタに注力していました。1912年末までに、Bestは、自らが設計したエンジンを搭載したC.L. Best 70履帯式トラクタの生産を実現しました。やがて、Bestの製品には「履帯式トラクタの信念」が反映されるようになりました。これは、優れた品質と卓越したサポートというブランドの約束です。こちらから、当社の創設者と、彼らが築いた会社の詳細をご確認ください。
履帯式トラクタつまり現在のブルドーザの発明は、Benjamin Holtの最も重要なエンジニアリング上の発明です。ホイールを履帯に置き換えたことで、重量のある蒸気トラクタが、ぬかるんだ泥炭土にはまり込むことなく、より簡単に農地を耕作できます。イノベーションがどのように当社の主力製品を生み出し、土木機械の代名詞である当社の社名にどのような影響を与えたかをご確認ください。
Holtが履帯の開発で有名であった一方で、C.L. Bestは製品の信頼性および性能を向上させる初期のガソリンテクノロジや足回りテクノロジの発明に力を入れていました。こうした初期の機能のいくつかは現在のCaterpillarトラクタのDNAの一部となっています。
蒸気からガソリンへの切り替えは、当社の創設者が100年以上前にお客様を支援することで実現した重要なエネルギー革命でした。
1800年代半ば、当社の創設者は、それぞれ自分の会社を所有し、各々が独自に農業機械などの革新的な機械製品を製造していました。数年すると、どちらの会社も、トラクタとハーベスタを中心とした優れた機械を生産する会社へと成長しました。
第一次世界大戦の終わりに、Daniel Bestの会社は、しっかりとした財務基盤、高度なトラクタ設計、強力なディーラグループの基盤を確立していました。一方、Holtは、世界的な評判、「Caterpillar」という商標、大規模な工場、約40年続くハーベスタ製品を持っていました。
1925年に世界有数の2つの会社は合併しました。こうして、Caterpillar Tractor Co.が誕生しました。こちらで詳細をご確認ください。
1925年、当社は赤色で波形の「Caterpillar」ロゴを採用し、機械を軍艦のようなグレーに塗装していました。ただし、この外観はそれほど長く続きませんでした。1931年、それまでのグレーの塗装に赤色のアクセントが施された当社の機械は、ハイウェイイエローに黒色のアクセントに変更されました。灰色から黄色への変更は、道路工事現場で機械の視認性を高めることがねらいでした。
1979年、ハイウェイイエローから、現在も当社の機械の色として知られているCaterpillar Yellowに変更しました。最大限の耐久性と寿命を実現するために塗料の配合を継続的に調整していますが、黄色の色合いは変更していません。
こちらから、当社の機械のトレードドレスとロゴの変遷をご確認ください。ただし、当社の工場から出荷されるCAT機械の中には黄色でないものがあることは事実です。
1925年のCaterpillar Tractor Co.の設立から間もなく、これまでのHoltとBestのディーラで構成されたグローバルディーラネットワークの構築が完成しました。Catディーラは、当初からサービスに重点を置いていましたが、1928年までに、部品を航空便で輸送できる体制が整いました。
1927年、Caterpillarは初の新製品である20ブルドーザを発表しました。当社は大恐慌の影響を受けていましたが、お客様にとって重要な製品とテクノロジへの投資を継続しました。
Russell Grader Manufacturing CompanyのブレードグレーダはCaterpillarのトラクタと一緒に使用されることがよくありました。そのため、1928年にCaterpillarはRussell Graderを買収し、道路機械事業部を創設しました。この買収により、1931年に当社は業界初の実用モータグレーダの生産を実現しました。
さらに、C.L. Bestなどのリーダーは、ディーゼルテクノロジへの投資に取り組みました。1931年、当社はCaterpillarディーゼル60トラクタの生産を開始しました。最初のディーゼル60トラクタ25台のうち10台は、ベルギーのアントワープからリエージュまでの80マイルを結ぶアルベール運河の建設に活躍しました。これらのトラクタは、9年間の建設期間中、毎日稼働を続けました。
Caterpillarでは、初期の頃からエンジンビジネスの大きな可能性を認識していました。しかし、Caterpillarディーゼルエンジンの登場によって、ようやく動力ビジネスは開始されました。
1915年のパナマ・太平洋万国博覧会(のちに世界博覧会に改称)で、Caterpillarの上級幹部は、大型の据置き型ディーゼルエンジンを目にし、その可能性を認識しました。当社はすぐに、トラクタのガスエンジンの代わりとなる独自のディーゼルエンジンの開発に着手し、発電機、工業設備、船舶などの用途向けとして、広くOEMに販売しました。
当時、ディーゼル燃料のコストはガソリンの約半分でした。産業用途では通常、エンジンを24時間稼働させることが必要になるため、大きな節約になります。また、ディーゼルエンジンには、出力、耐久性、燃料効率の向上など他の利点もあります。その結果、当社は1931年に最初のディーゼル量産モデルを完成させ、1937年までに世界最大のディーゼルエンジンメーカーとなりました。
それが、現在Caterpillarが確立しているリーダーとしての地位です。
1939年に米国が第二次世界大戦に参戦した結果、国の経済と労働力に大きな影響が生じました。男性が戦争のために国を離れ、代わりに女性が組立てラインに雇用されたため、ほぼ一夜にして失業率が低下し、米国全体で工場の労働力が変化しました。
Caterpillarも同じ状況でした。労働力不足に加え、南極大陸以外のすべての大陸で米国と同盟国を支援するために当社の機械が世界中に供給され、生産量が急増しました。1942年から1945年まで、Caterpillarは週7日間体制で稼働し、労働力を倍増させ、研究、鋳造工場、組立てラインの業務に女性を就けました。当社は、特殊な製品を製造し、下士官兵の訓練と支援を行い、約51,000台の軍用ブルドーザを製造しました。
ある若い女性Patricia Manningの物語をお読みください。彼女は二交代制の工場勤務を選び、第二次世界大戦中に工場の欠員を埋めるために集まった女性たちの1人となりました。
Caterpillarの製品とサービスは、当社の歴史を通じて、竜巻や地震、壊滅的な洪水、森林火災などからの災害復旧や復興を助けてきました。当社の機器は、1906年にはすでにサンフランシスコ地震の復旧活動を支援するために使用され、その後も災害復旧において重要な役割を果たし続けています。
1952年の設立以来、Caterpillar Foundationは、世界中の人々の生活向上に貢献しています。企業として、Caterpillarはディーラやお客様と協力し、世界を動かすために必要な社会インフラの構築に取り組んでいます。Caterpillar Foundationでは、個人の繁栄やコミュニティの回復力向上に必要となる補完的な人、自然、基本的サービスに関するインフラストラクチャに重点を置いています。
道路、橋、滑走路、港の建設は、現代のインフラストラクチャシステムに欠かせません。創設以来、Caterpillarの製品は、世界最大級および最も有名なのインフラストラクチャプロジェクトのいくつかに貢献してきました。
お客様は、より良い、より持続可能な世界を構築するうえで、Caterpillarを頼りにしています。Holt製機械が使用されたロサンゼルス上水路など、お客様は当社の製品を使用して水路システムを構築することにより、水を都市に届けることに尽力しました。米国州間システムやバグダッド空港道路など、長大な道路を建設し、人や物をより素早く輸送できるようにしました。非常に厳しい条件下で、パイクスピークを登り、進歩の道を切り拓きました。パナマ運河を建設して商品や貨物の海上輸送スピードを向上させただけでなく、その後の拡張工事も助けました。米国のフーバーダムやゴールデンゲートブリッジ、中国の三峡ダムなどのダムや橋を建設し、世界で最も優れた驚異的なエンジニアリング上の成果のいくつかを生み出しました。当社の発電装置の1つは、月へ向かうアポロ11号計画でも電力供給に貢献しました。
再生は、Caterpillarが1970年代の初めにまいた最も重要な種の1つでしょう。単一シリーズのエンジンを再生するための的を絞った取り組みとして始まったものが、飛躍的な成長を見せました。現在、世界中のメーカーは、再生の経済的および環境的なメリットを認識し、大いに推奨しています。しかし、初期の頃、米国ではエンジンや他の重機用コンポーネントを再生するモデルがあまりありませんでした。
Caterpillarは鋳型を作る必要がありました。
Cat Remanは、新品部品の価格に比べて数分の1の価格で使用済み部品を再生部品に交換するビジネスを最もシンプルな形で促進します。この場合、Caterpillarは下取りした部品(コアと呼ばれます)を最低レベルのコンポーネントまで分解し、当社の再生プロセスに投入します。このプロセスの中で、これらのコンポーネントは、新しいシリアル番号が付けられた完全に新しいコンポーネントに生まれ変わります。再生された部品は、単体の再生部品として販売されるか、再生されたサブアセンブリまたはエンジンの一部になる可能性があります。
新品を購入する場合に比べてごくわずかのコストで、お客様が新品同様の部品を購入できるため、再生は、お客様の成功を重視しながら収益性のある成長を実現するというCaterpillarの戦略に完全に合致します。
さらに、再生は、原材料の消費量を削減することによって地球環境を保護し、また、プロセスを通じてエネルギーを節約できるので、最終的に当社のサスティナビリティの取り組みをサポートします。サスティナビリティは、Caterpillarの「行動に示す私たちの価値基準」の5項目の1つであり、ほぼ100年にわたる持続可能なイノベーションの伝統と一致します。詳細については、こちらをご確認ください。
1970年代の初めは、Caterpillarが大きく成長した時期でした。売り上げは1973年に30億ドルを超え、1975年までに50億ドル近くに達しました。世界全体で従業員数が80,000人を超え、世界的に大幅な拡大を実現した当社は、政府、公益団体、その他の第三者から続々と寄せられる業務上の行動規範に関する問い合わせに対処することを決定しました。
行動規範の初版は、1974年10月1日に発行され、社内ですべてのCaterpillarのマネージャに配布されました。1974年の年次報告書に含まれる1ページの要約版を別として、当初、行動規範は外部に宣伝または配布されていませんでした。しかし、公共団体、企業、学術機関、政府機関からの要望が殺到したため、方針が迅速に変更され、行動規範を求める要望に応えることが決定しました。
現在は「行動に示す私たちの価値基準」として知られている行動規範は、倫理的行動と企業の社会的貢献に関するCaterpillarの取り組みの基礎であり、当社の評判を保護するとともに、多様性と包括性を重視するCaterpillarの姿勢を示しています。これは、当社にとって最も重要な文書であり続け、古びることなく使用されています。
自律運搬テクノロジを搭載したCAT MineStar™ Commandから排出ガスゼロの採掘を実現する戦略的提携まで、当社はお客様と協力しながら、露天採掘と坑内採掘のための新しいモデルの構築を支援します。2021年、当社はNewmont Corporation社との戦略的提携契約を発表しました。同社は世界最大の金採掘企業であり、当社は、完全に接続され、自動化された、二酸化炭素排出量ゼロのエンドツーエンド採掘システムを提供します。
お客様がより良い、より持続可能な世界を築き、全世界の人々のニーズに応えられるように、当社は、一連の買収を通して事業を拡大し、製品およびサービスを多角化することに力を入れてきました。
Caterpillarが最初に行った買収は1928年のRussell Grader Companyの買収であり、この買収により、モータグレーダ業界における当社の地位が確立しました。それ以前は、Russell製のブレードグレーダはCaterpillar製のトラクタと一緒に使用されることがよくありました。1931年4月に、当社は初の実用モータグレーダAuto Patrolを発表しました。この製品は、別のトラクタの周りにグレーダのフレームをはめて使用するのではなく、単独の機械として設計されていました。
当社は、その歴史を通じて、能力を高めるため、また製品ラインを拡張するために、企業やテクノロジを買収してきました。1980年代には、複数の企業を買収して、当社の能力を成長させ、革新的なソリューションを提供しました。1986年、当社は社名をCaterpillar Tractor Co.からCaterpillar Inc.に変更しました。